華やかに復興した横にひっそりと佇む忘れてはいけない記憶。
初めて来た時(昭和53年当時)は現在のメリケンパークは無く、
メリケン波止場と神戸ポートタワーの間は海(波止場)だった。
まだポートアイランドも工事中だった。
六甲の山を削り、出た土でポートアイランドを作り、
開島に合わせ開催された、ポートピア81は地方博覧会の先駆けとして成功を収め、
都市経営のモデルとして「株式会社神戸市」と、言われていたのを思い出す。
当時はNHK朝の連続テレビ小説「風見鶏」の影響で、
北野界隈は大変な賑わいで、ドラマのモデルになった、
フロインドリーブの黒ライ麦パンを予約して買った記憶もある。
それから北野界隈は何度か来ているが、
その度にケバケバしい新しいお店が出来て次第に足が遠のいてしまった。
そして震災・・
壊れた神戸の街を見るのが嫌でまた来なくなった。
今回は前回の
http://ruby.fool.jp/test/2006/03/post-22.html
以降でメリケン波止場は久しぶりに来たが、
本当に若い頃に来ていた場所がここか、今ひとつ分らなくなってきている。
初めて来た時(昭和53年当時)は現在のメリケンパークは無く、
メリケン波止場と神戸ポートタワーの間は海(波止場)だった。
まだポートアイランドも工事中だった。
六甲の山を削り、出た土でポートアイランドを作り、
開島に合わせ開催された、ポートピア81は地方博覧会の先駆けとして成功を収め、
都市経営のモデルとして「株式会社神戸市」と、言われていたのを思い出す。
当時はNHK朝の連続テレビ小説「風見鶏」の影響で、
北野界隈は大変な賑わいで、ドラマのモデルになった、
フロインドリーブの黒ライ麦パンを予約して買った記憶もある。
それから北野界隈は何度か来ているが、
その度にケバケバしい新しいお店が出来て次第に足が遠のいてしまった。
そして震災・・
壊れた神戸の街を見るのが嫌でまた来なくなった。
今回は前回の
http://ruby.fool.jp/test/2006/03/post-22.html
以降でメリケン波止場は久しぶりに来たが、
本当に若い頃に来ていた場所がここか、今ひとつ分らなくなってきている。
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